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「看取りの時間に伝え合うこと」

· 講演,在宅医療,QOLと尊厳,多職種連携,オピニオン
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私たちはいつか必ず病気になって衰弱して死んでいく。生き物である限り、この運命を変えることはできない。

通院困難な方が対象となる在宅医療においては、多くの方が治らない病気や障害とともに人生の最終段階を生きている。その状況において医療者が患者さんやご家族に提供できるものは何か。

病状経過に対する適切な情報、並存疾患に対する適切な治療、状況に応じた適切な生活指導とケアのアドバイス。どれも重要である。

しかし、私たちが提供すべきもっとも大切なのは「生活や人生に対する納得」であると思う。

病気は治らない、もうすぐ旅立つ、でもいまの生活に満足しているし、いい人生だった。そう思うことができれば、人生の最終段階は、悲嘆に満ちたものから、納得・満足できるものに変わっていく。

そして、看取りの時間は、ただ死を待つだけのネガティブな時間から、自分が生きてきた意味を家族とともに考え、そこから先をよりよく生き切るためのポジティブな時間に変わる。

生活を継続するために医学管理はもちろん大切である。しかし、医学的な限界は伝えつつも、生活や人生の可能性についてはキャップをかけないようにしなければと思っている。

世の中には「変えられないもの」と「変えられるもの」がある。

「もう病気は治せない」という事実は、どうもがいても変えられない。しかし、残された時間をどう過ごすのか、それはその人が自分で選択できる。僕らの支援によって、その選択肢はいくらでも広げられる。

そして「もう病気は治せない」という事実の解釈も変えることができる。
わたしたちが生きている世界は、事実で作られているのではない。事実に対するそれぞれの解釈で作られている。そして解釈はそれぞれの価値観に基づいて行われる。

わたしたちは対話を通じて患者さんの価値観に寄り添うのみならず、時に患者さんが困難を乗り越えるために必要な「新しい価値観を獲得する」ための支援を意識する必要があると思う。

人生の最終段階をどこでどう過ごすのか。

本人にその答えを求める前に、本人が、自分自身の意思でそれを選択できるものであることを保証する必要があると思うし、残された大切な時間と体力を悔いなく使うためにも、「今からでも変えられる」ものがあることに気づくお手伝いをすることはとても大切なことだと思う。

「看取りの時間に伝えあうこと」

今回の分科会でいただいたこのテーマは、僕にとってこれまでの支援を振り返る1つのきっかけになりました。

元ちゃんハウスや凪のいえなど石川県での地域での取り組み、永源寺での取り組み、すべてに共通するものを感じました。
生活を継続するということはどういうことなのか。
改めて考えさせられました。

久しぶりに佐藤伸彦先生、秋山正子さんのお話もお聞きできました。いろいろな意味で、自分にとって意味のある1日になったような気がします。

貴重な機会を頂戴しました関係者の皆様に心より御礼申し上げます。

ありがとうございました。

(佐々木淳)