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改めて「地域共生社会」を考える。

誰もが幸せに暮らせる「ソーシャルインクルージョン」って何だ?

· 講演,地域共生社会,在宅医療カレッジ,オピニオン,社会保障

世界的に進む超高齢化の先頭を走る日本。

現在28%の高齢化率は将来的に46%に達し、2040年には高齢者の34%、実に日本人の7人に一人が認知症になると予想されている。そして現在も、全人口の15%が何らかの障害とともに暮らしている。


私たちはこれまで高齢者や障害者などを「社会的弱者」・「支えが必要な人」として、一方向性の支援の対象としてきた。
しかし、「支える側」は人手や財源の不足が深刻化しつつある。
一方で、「支えられる側」の人たちの多くは、生活や人生を自らの手で選択することができていない。生きる目的や社会的な役割、コミュニティの中の居場所をも失いつつある。また、必要な支援が受けられず、社会の中で孤立し、厳しい生活を強いられている人たちもたくさんいる。


この「支える側」「支えられる側」双方のミスマッチは、医療や介護の現場にも大きな歪みをもたらしている。

誰もが安心・納得して暮らし続けられる社会を創るために、私たちはどうすればいいのだろうか。


そんな問いに応えるべく開催された今年のラウンドテーブルディスカッションのテーマは「地域共生社会」。

人と人とのつながりのなかで、誰もが孤立や排除から解放され、コミュニティの一員として包み支え合う。目的を持って生きる、役割を持って生きることで得られる「生きがい」は、私たちの心身の健康維持にもつながることがわかってきている。


地域包括ケアシステムや医療・介護という発想のフレームを超えて。
社会全体が「ケアし合うコミュニティ」になるために、そして超高齢社会を明るく豊かな未来として次世代に引き継ぐために、わたしたち専門職や事業経営者は、そして国や行政機関はどうあるべきなのだろうか。

今回のラウンドテーブルディスカッションでは、このもやもやした地域共生社会という言葉を、参加者各自がそれぞれ具体的に言語化できることを目指した。

Fact

サブテーマ①日本が直面する社会課題

まずは西村周三氏(医療経済研究機構所長・社会保障審議会会長/元国立社会保障・人口問題研究所所長)、浅川澄一氏(ジャーナリスト/元 日本経済新聞社編集委員)、大熊由紀子氏(国際医療福祉大学教授・ジャーナリスト/元 朝日新聞論説委員)より、それぞれ人口構造の変化・社会保障財政について、日本の高齢者・認知症ケアの現状と課題について、そして日本の医療および社会的弱者の現状と課題についてプレゼンテーションが行われた。

西村 周三

最初にプレゼンに登壇した西村周三氏からは、超高齢社会・高齢者に対する新しい考え方、そして介護予防をめぐる意思決定やその手法としてのナッジの活用が提唱された。

●超高齢化と少子化が進む日本では、異なる世代間での共生のあり方が問われる。しかし、公的年金をめぐる財政問題、若年層の生活難や子育ての困難が生じているために、無用な世代間対立を煽る世論が少なくない。しかし、これらの多くが誤解に基づくものである。(同一世代間での格差のほうがはるかに深刻である)

●日本では寿命が急速に伸びてきている。65歳未満で死ぬひとはほとんどいなくなった。一方で少子化により、高齢化と人口減少が同時に進む。団塊世代が全員75歳以上になる2025年以降、高齢者人口の増加は穏やかになるが、既に減少に転じている生産人口の減少は加速する。
一方、高齢者は「若返っている」。高齢者の体力テストの成績は年々向上し、調査では75歳以上を高齢者とすべきという声も50%に迫ろうとしている。

●そのような中、政府は「誰もがより長く元気に活躍できる社会」の実現を目指す。そのための3つの柱が「多様な就労・社会参加」、「健康寿命の延伸」、そして「医療・福祉サービス改革」だ。給付と負担の見直しなどを通じて、社会保障の持続可能性を確保しようとしている。例えば、高齢者の定義を「70歳以上」と見直すことで、2040年、一人の高齢者を2.1人の生産人口が支えることができる。これは2015年、一人の65歳以上の高齢者を支えるために必要な生産人口と同じだ。

●ただ、これは、すべての65歳~69歳が働き続けなければならない、ということではない。自己決定できることが重要だ。自己決定に際しては、自己責任論の落とし穴にも留意したい。人は常に合理的で最適な選択ができる存在ではない。人間には「心」がある。感情に振り回され、しばしば判断を誤る。まさに「にんげんだもの」。インフォームドコンセントが重要だとされてきたが、より重要なのは、個人の自己決定を尊重しつつ、専門家が後ろからそっと背中を押すこと。医療分野ではShared Decision Making、行動経済学の分野ではナッジ(Nudge)という。

●介護保険法第二条には、介護サービスは「要介護状態の軽減または悪化の防止に資するよう行われる」と定義されている。しかし、介護を必要とする人々は同時に障害者でもある。障害者権利条約第五条には「いかなる差別もなしに法律による平等の保護を基礎として、その心身がそのままの状態で尊重される権利を有する」とされている。介護保険法による「要介護状態の軽減」はこれと相反するもので、見直す必要があるという指摘がある(小竹雅子氏)。この意見を踏まえて、予防事業は考えるべきである。

●要介護状態になった時、多くの人々の「心身」は揺れ動く。心身の「そのままの状態」を受け入れてほしいと思う一方、専門家のアドバイスを得て、自分も頑張れば元気になれるかもしれない、とも思う。総合事業(介護予防)とは、そういう対象者の状況を理解した上で、介護保険法第二条(状態の改善・維持)を乱用すべきでない。

●病気にせよ、要介護状態にせよ、次の1つに分けられる。
①個人の努力で変化させられること
②社会(地域・職域など)の努力で変えられること
③努力しても簡単には変えられないこと(遺伝的要因・幼少期の環境など過去の深く積み重なった要因・あらゆることがらに伴う不確実性など)例:認知症の発症
特に③という現実の重みを忘れないこと。①②に対する努力も必要だが、特に現在は①が過度に強調され、②の重要性が過小評価されている。②こそ共生社会が目指すべき方向だ。例えば、母子保健のあり方(地域・職域での妊婦への支援、出産の側面的支援など)や認知症にやさしい街づくりなど。

●きれいごととしてではない、地域包括ケアの可能性を追及したい。相互扶助を制度に内蔵できるか。医療機関や介護施設も単に出来高で業務するのではなく、SDGs(Sustainable Development Goals)、ESD投資、SIB(Social Impact Bond)などを活用できるはず。「ワクワク」するような相互扶助がほしい。

浅川 澄一

浅川澄一氏からは政府で検討が進む「認知症施策推進基本法」を通じて認知症の捉え方について、そして認知症ケアの隔離モデルから共生モデルへの転換、当事者主権の代行者としての市民後見人についての情報提供があった。

●現在、認知症についての「基本法案」が議論されている。公明党認知症「対策」推進本部長の古屋範子衆院議員より提出された公明党案「認知症施策推進基本法」は、認知症を対策・施策の対象としており、国や自治体が計画を策定・実施することになっている。認知症の人と家族からの意見は聴くが、あくまで認知症を「病気」として「支援」の対象としている。
一方、元厚労省老健局長の宮島俊彦氏が提出したのが「認知症の人基本法」。これは、本人の主体性を重んじ、社会参加を目的とする。基本的人権を享有し、自己決定権を保障する。あくまで「人」を中心とした考え方で、地域住民との「共生」を目指す。

 

●公明党案(認知症施策推進基本法)は、新オレンジプラン(認知症施策推進総合戦略)の延長線上にある。これは改定前の障害者基本法に基づき、あくまで「施策(対策)」が主軸である。
一方、宮島案(認知症の人基本法)は、障害者基本法・障害者権利条約、つまりその人がありのままで存在し続けることが尊重されるという「人権と自由」に主眼が置かれている。

 

●障害者権利条約は2006年、国連総会で採択され、日本は2014年に批准した。すべての障害者、あらゆる人権及び基本的自由、完全、平等、共有(第一条)、合理的配慮の否定は差別(第二条)、心身がそのままの状態(第17条)などが明記された。私たちのことを私たち抜きで決めないで(Nothing about us without us)という思想に通ずる。
これを受けて、日本の障害者基本法は2011年に改正法が施行、2016年には障害者差別解消法が制定された。障害の有無に関わらず等しく基本的人権を享有し、相互に人格と個性を尊重、共生社会の実現、自立と社会参加が謳われている。

 

●認知症への向き合い方は「対策社会=医療モデル」から、「本人社会=生活モデル」へと大きく転換しつつある。
「対策社会」の価値観の中では、認知症の人は、困った人、向こう側の人で、社会にとってマイナスの存在とされる。そして、認知症は病気に基づくもので、抑え込む、根絶すべきもので、対策・予防・支援の対象となる。医師をリーダーに家族や地域住民が支え手となり、そのコンセプトは新オレンジプランに継承されている。
一方、「本人社会」の価値観の中では、認知症は老衰に伴う生理的な変化であり、あるがままを受容する、本人の暮らしの中に普通に存在するものである。それは抑圧や根絶の対象ではなく、人権と平等が保障される。「本人を中心に」、本人と一緒によりよいQOLを実現していくために、成年後見人や地域住民が支え手となり、そのコンセプトは障害者基本法に継承される。

 

●障害に注目し、医療を重視、本人は子ども扱いされ、だまされ、できることを取り上げられ、作られた普遍的リズムの中での生活を強いられる。これが従来型の医学モデルの認知症ケア。
その人を中心とした新しい認知症ケアの文化とは、人格や尊厳が守られ、その人の強みが発揮され、その人の生活リズムの中で、ゆっくりと暮らし続けることができる、The Person comes first(その人が最優先)の考え方。「その人中心のケア」(トム・キットウッド)=パーソンセンタードケア

 

●これまでは認知症は病気とされ、薬物療法や入院治療の対象となってきた。現在も5万人以上が精神科病院に収容されている。しかし、認知症は、老衰に伴う脳細胞の生理的な機能低下である。歳をとれば、誰もが認知症になる。それは「治す」対象ではなく、ともに日常生活を送るものであり、生活の場(グループホームやケア付き住宅)を確保することが重要になる。

 

●高齢者福祉の三原則。これは1982年、デンマーク発のルール。
ここには①自己決定権の尊重 ②自己資源の活用 ③生活の継続性が謳われている。これはそのまま認知症ケアにも当てはまる。

 

●健常者と要介護者・障害者(認知症を含む)を隔離し、地域と断絶した遠方の大型管理施設に収容する医療主導の「隔離モデル」の時代は終わりにすべきだ。
誰もが障害をもつ可能性を共有しながら、地域にともに居住し、小規模で自宅のような空間で「生活が継続できる」ことがもっとも大切だ。
オランダ・ナイケルク市では、農家が認知症デイに変身した。ここでは、畑と動物に囲まれて、利用者は普通の暮らしを継続できる。「認知症の人は、仲間が集まると、自分の役割が見いだせる」という。プリエル市でも、認知症の人がスタッフとともに農作業に勤しむ。鳥の巣箱を作り、調理をして、一緒に食事をする。日本でも、岩手の花巻市では入居者がスタッフとともに稲刈りをしている(実際には、入居者がスタッフに稲刈りの指導をしている)。京丹後の宅老所「下岡の家」では、自宅と同じ民家ならではのくつろぎの空間となっている。自己資源を活用しながら生活を継続することは認知症があっても可能なのだ。

 

●自己決定を保障するのが、当事者主権の代行者、すなわち成年後見人である。成年後見人はこれまで親族が担うことが多かった(2000年度は成年後見人の91%が親族による)。しかし、親族は本人の遺産相続人であり、利益相反が生ずる。家族は要支援者の「敵」になりうるのだ。
そこで増加してきたのが士業(司法書士・弁護士・社会福祉士・行政書士)による成年後見だ(2017年度は士業専門職が成年後見人の65.2%を占めるに至った)。しかし、専門職による後見は生活感覚が乏しい。本人の皮膚感覚の日常を理解できる、本人と同じ立場で、成年後見に関われる「市民後見人」がもっと増えるべきである。

 

●生きるのも日常であれば、また死んでいくのも日常。老衰を恐れる、忌避する(Anti-Aging)のではなく、加齢とともに最期までいきいきと生きる(With-Aging)。これが、高齢者ケア、認知症ケアに共通する価値観であろう。

 

大熊 由紀子

大熊由紀子氏からは、老いても病んでも障害があっても、地域共生(インクルージョン)社会で誇りをもって、というテーマで、主に障害者ケアや医療の課題について問題提起が行われた。

●日本ではもともと、さまざまな人が一緒に暮らしてきた。しかし、社会は、障害者を社会から排除・隔離してきた。これを私はアブノーマライゼーション(エクスクルージョン)と呼んでいる。もともと一緒に暮らしていた人たちを、もう一度、一緒に暮らせるように。一言でいえば、これがインクルージョン(ノーマライゼーション)である。

●どんなに知的なハンディキャップが重くても、人は街の中の普通の家で、普通の暮らしを味わう権利があり、社会はその権利を実現する責任がある。デンマークでは1959年に法律の中で定められ、1982年には高齢者福祉の三原則(人生の継続性の尊重・自己資源の活用・自己決定の尊重)が明確化された。地域包括ケアはデンマークでは1970年代から当たり前だった。

●日本では。43人が殺傷された「やまゆり園」は人里離れた山の中の大型障害者収容施設。殺傷事件が起こる以前に、すでに社会によってエクスクルージョンされていた。
日本の精神医学のトップは、東京八王子の山頂に大型精神病院を開設している。ここでも、入院患者たちはすでに社会によってエクスクルージョンされている。

●日本の精神医療は国際常識の対極にある。
世界中で精神病床の削減が大きく進む中、日本では精神病床は増加し続けた。人口1000人あたり約3床という病床数は圧倒的に世界一位。平均在院日数も300日を超え、これも圧倒的に世界一位。日本の人口は世界のわずか2%なのに、世界の精神病床の20%が日本に集まっている。
精神病院の収入は9割が入院による。病床稼働率を維持するために、認知症の人たちを精神病院に招き入れるという戦略が。そのため1988年に「老人性痴ほう症専門治療病棟」、1991年に「老人性痴呆疾患療養病棟」の制度が創設された。他の先進国のように認知症の人を入院病床に入院させない、という状況になると、病床稼働率は64.7%まで下がるという試算もある。

●精神病院には誇りも役割もない。愛とぬくもりもない。そして適切な衣食住とコミュニケーションもない。独房のような鉄格子と金網の保護室に認知症のお年寄りが収容され、身体拘束の抑制帯が日常的に使用されている。日本精神病院協会会長は、30万床を認知症BPSDのために活用すると発言している。

●スウェーデンでもかつて認知症の人が精神病院に入院していた。しかし、いま、スウェーデンでは認知症の人が認知症には見えない。思い出の家具に囲まれた自分の部屋で、家族や友人とともに普通の暮らしを継続している。
一方、日本では回廊式の病院や施設に認知症の人たちが収容され、建物内をただ徘徊する。
クリスティン・ブライデン(オーストラリア)は、「認知症と呼ばれる人々の異常な行動は、異常な環境と異常なケアに対する正常な反応です」と述べている。

●居場所と味方と誇り。富山市のデイケアハウス「このゆびと~まれ」では、いわゆるBPSDのひどかった人たちがコミュニティの中で役割を持ち、普通に生活を継続できている。一方、認知症の「治療病棟」では、身体拘束の抑制帯が日常的に使用されている。
この現状を変えていくのは容易ではないが、声を上げ続けなければならない。

3者のプレゼンテーションは、高齢者や認知症、障害に対する定義そのものを見直すこと、そして、それに応じて、医療やケアのコンセプトも大きく変化していく時期に来ていることが示唆された。
また国連総会で採択され、日本でも批准されている「障害者権利条約」に定められた、すべての障害者の人権と自由、そして「心身がそのままの状態で尊重される」という精神は、一律に自立支援を求めるのではなく、あくまで本人の「自己決定の尊重」が重要である、ということを浮き彫りにした。パーソンセンタードケアという考え方は、認知症のみならず、高齢・要介護・障害、すべてにおいて、そしてすべての人にとって基本的概念であり、地域共生(インクルージョン)を考えていく上でも非常に重要なコンセプトであることが明確となった。

Theory

サブテーマ② 日本の取るべき今後の方向性

ここでは二人の行政官から、今後の大きな方向性が示唆された。
登壇したのは、厚労省から内閣官房まち・ひと・しごと創生本部 地方創生総括官、そして現在は慶應義塾大学で客員教授を務める唐澤剛氏と、経産省にて次官・若手プロジェクト「不安な個人・たちすくむ国家」のとりまとめを主導、現在は厚労省健康局・健康課に出向中の藤岡雅美氏。

唐澤 剛

唐澤剛氏からは、地域包括ケアシステムの文脈における自立支援の位置づけと、そして、地域包括ケアシステム・地域共生社会・地方創生に共通する、あるキーワードが提示された。

●自立支援とは何か。
1994年に発足した「高齢者介護・自立支援システム研究会」。ここで新しい介護システムの基本的な考え方がまとめられた。
研究会は「高齢者の自立支援」を基本理念に既存制度を再編成し、新しい介護システムをとりまとめた。その主なポイントは、①高齢者自身による選択、②介護サービスの一元化、③ケアマネジメントの確立、④社会保険方式の導入の4点であった。
また、高齢者の長寿化に伴い、介護は「最期を看取る」から、「高齢者の生活を支える」へと変化してきた。このような状況から、「高齢者が自らの意思に基づき、自立した質の高い生活を送ることができるように支援すること(高齢者の自立支援)」が基本理念とされた。

●従って、新しい介護システムでは、予防とリハビリテーションが重視された。
自立支援のために、まずは予防を重視し、寝たきり防止に努めることが重要であるとされた。また介護が必要となった時に。適切なリハビリテーションが提供できる体制の整備が求められた。

●基本的な考え方は、高齢者が自らの意思に基づいて、利用するサービスを選択し、決定すること。このため、介護サービスの提供は、高齢者とサービス提供機関の間の契約方式が原則とされた。ただし、介護放棄や虐待など高齢者の自己決定がなじまないケースには、契約方式を補完するものとして、行政機関が緊急的に保護する仕組みが考慮された。

●その後、地域包括ケアシステムの概念が生まれる。
地域包括ケアシステムとは、「地域の実情に応じて、高齢者が可能な限り済み暗れた地域で、その有する能力に応じて、自立した生活が送れるよう、医療介護・介護予防・住まいおよび自立した日常生活の支援が包括的に確保される体制」だが、重要なキーワードとして、
①地域(人のつながりがある)において、それぞれの人生の物語を尊重(寄り添う)できる、包括ケア(医療介護連携)こと。
②生活の場であり、住まいを拠点としていること。
③医療介護連携を縦軸に、生活支援と街づくり(地方創生)を横軸に。
④医療介護連携=地域における総合的なチーム医療介護が切れ目なく提供され、サービス提供者間の顔の見える関係ができていること。
⑤高齢者だけでなく、こどもも若者も「ごちゃまぜ(ダイバーシティ)」で「全世代型」であること。
⑥各地域の実情に応じた「ご当地システム」を作ること。

●「ごちゃまぜ」
20世紀は同質性と効率化の時代だった。工業化と大量生産、そして大規模施設。
21世紀は多様性と高付加価値化の時代。ブランド化、ごちゃまぜ、多世代交流。
ごちゃまぜ=多様性=ダイバーシティ。
地域包括ケアも、地域共生社会も、地方創生も「ごちゃまぜ」。
ごちゃまぜの方が自然だし、新しい見方をもたらす。イノベーションを生み、独自性によるブランド化が進む。

金沢では社会福祉法人佛子園が運営する「シェア金沢」がある。これは介護保険とコミュニティビジネスを連携させた生涯活躍の街づくり。住人と地域住民による地域密着型の生活テーマパークと言っていい。「ごちゃまぜ」と「開放」。地域の誰が来てもよい場所。そして誰も排除されない。街全体がコミュニティスペースとなっている。

●少子高齢化社会を乗り切る方法は、地域包括ケア以外にない。
我々は、地域包括ケアしか選ぶことができない。あらゆる政策の柱に地域包括ケアの推進を置く。

藤岡 雅美

藤岡雅美氏からは、経済や幸せに対する新しい視点、そして「公」の担い手についての問題提起など、これからの新しい価値観に対する視点が提供された。

●社会は液状化してきている。
これまでは政府、企業、民族、メディア、宗教、さまざまな権威がヒエラルキーを形成する組織中心社会であった。権威が規律となり、社会は安定する。窮屈だが安心感がある。課題は「お上」が解決し、個人は情報を受信していればよかった。
しかし、都市化、グローバル化、資本主義・市場経済・技術革新・・・さまざまな要因により、社会は組織中心から個人中心へと変化してきた。
個人中心社会においては、個と個が自由につながり、作用し合う。個人の決断やリスクテイクに依存する部分がより大きくなり、変化が前提となる。自由だが、そこには自己責任と不安を伴う。
「自由だが不安・・・」
個人中心社会が、より安定感・安心感のある組織中心社会の権威主義へと回帰していくのか、あるいは個人が安心して思い切った選択ができる「秩序ある自由」へと進化していくのか。
いままさに分岐点に差し掛かっているのではないか。

●重要な前提条件がある。
それは、経済成長が必ずしも個人の幸せとはリンクしていないということだ。
一人当たりのGDPはここ30年で2倍近くに伸びた。しかし、日本人の生活満足度はよこばいのまま。幸福の主たる要素が経済以外のところにシフトしているのだ。
日本においては、一人あたりGDPよりも、例えば「つながり」や「健康寿命」のほうが幸福感に影響を与える。幸福度の高い国ほど、GDP以外の要素の割合が高くなることがわかっている。

●健康に関わる私たち専門職は、すべての人が「健康」が何よりも重要で、何よりも尊いものと思っていると勘違いしていないだろうか。
将来の健康の大切さを伝えても人は変わらない。「今の欲求」を駆り立てるアプローチはできるのか。突破口は「健康」を別の価値に置き換えることにある。
たとえば、営業成績を上げたい、美しくなりたい、かっこよく生きたい・・・など。
「健康原理主義」から脱却する必要がある。

●人は同価値のものを「得る」ときよりも、「失う」時の方が、価値を高く感じるもの。これを現状維持バイアスという。健康を失ったときの喪失感は大きいが、それを維持改善するための努力は、それに見合わないと感じる傾向があるということだ。

●そして、モノの価値は時間とともに減少していく。つまり、将来得られるものは、価値が低く感じる。9万円を金利5%で預ければ50年後には100万円になる。しかし、人は貯金することはできない。50年後の100万円より、今の9万円のほうが大きいのだ。

●このような非合理的な人間の選択に対し、「選択肢をうまく設計・配置」することで、人の背中を押すように、人々に適切な選択をさせる手法がナッジ理論(Nudge)だ。実践行動経済学とも呼ばれる。イギリスやアメリカでは政府において「ナッジ・ユニット」が設置され、研究が進んでいる。
たとえば、男子トイレに「尿をこぼすな」と張り紙をしても飛散は減らない。しかし、小便器に標的を描くと、男性はその標的にむけて排尿するため、尿の飛散が自然と少なくなる。
この理論を応用すれば、生活習慣病対策にも活用できる。
たとえばビュッフェレストランの客の75%は、最初に目に入った食べ物を皿に取る。そして、客が取る食べ物の66%は最初の3品で占められる。ビュッフェテーブルの手前に野菜を並べれば、自ずと野菜の摂取量が増え、食べ過ぎが防げる。
つまり、もっとも強い効果を示すのは、それを「デフォルト設定」にしてしまうこと。

 

●人は自ら健康になるための行動を選択しない。だからこそ、生活しているだけで「自然に健康になる社会」を作ることが大切。
重点的に取り組むべきは、①健康無関心層を含めた予防・健康づくりと②地域・保険者間の格差の解消。自然に健康になる社会をつくるための新たな仕掛けとして、健康な食事や運動ができる環境整備を進めること、そして居場所づくりや役割づくりなどが重要になる。そして、行動変容を起こす仕掛けとして、ナッジ理論やインセンティブの活用などが考えられる。
これらの手法を用いて、(次世代を含めた)すべての人の健やかな生活習慣づくり、疾病予防や重症化予防、そして介護予防・フレイル対策・認知症予防などに取り組む。そしてその基盤として、データヘルスや各種研究開発、そして幅広い関係者が一体となって取り組む体制を構築する。
そして、個人、社会、企業が、行動変容の連鎖を生み出す。

●「公」は官が担うべきものなのだろうか。
こんな思い込みから、住民は税金の対価として官からサービスを受ける「お客様」となり、それを民間に任せるかどうかは官が判断するもの(民営化・規制緩和)となってきた。
その結果、官業が肥大し、財政負担が増え続けるとともに、「公」についての個人や地域の多様なニーズに応えられなくなってきている。
本来、「公」の課題こそ、多くの個人が生きがい、やりがいを感じられる仕事であり、潜在的な担い手は地域に大勢いるはず。新しいネットワーク技術を活用すれば、これまで以上に多様な個人が「公」に参画しやすくなっているのではないか。

●「公」の課題を担うのは、意欲と能力のある個人であってもよい。
テキサスやニューヨークでは、地域の課題と解決手段を持つ人をマッチングするプラットフォームを提供。地域通貨を媒体し、住民が主体的に課題設定・情報提供し合える状況を作ることに成功した。
人口減少と財源不足に悩む長野県下條村では、道路改修工事を行う余裕がなかった。村は資材のみ提供し、地域住民が自ら工事を実施することで、低コストで道路改修ができたばかりでなく、住民協働のプロセスでコミュニティの一体感が高まった。また捻出された財源で子育て支援を充実した結果、出生率は2.0まで上昇した。

社会をよくするのは一人ひとりの行動の積み重ね。
コミュニティのプラットフォームとしての地域包括ケアシステムとしての概念、そしてよりよい社会をつくるための行動をそっと後押しする街づくりの設計やナッジ理論の活用。そして役割と生きがい、コミュニティの活性化のコアとしての「公」の担い手の創出。
政府の政策のコンセプトも、多様性に対応するために大きく進化しつつあることを感じた。

Practice

サブテーマ③ 地域共生社会の実践モデル

最後に、4人の地域共生社会モデルの実践者、雄谷良成氏(社会福祉法人佛子園理事長・公益社団法人青年海外協力協会理事長)、井階友貴氏(福井大学医学部地域プライマリケア講座教授・高浜町健康のまちづくりプロデューサー)、加藤忠相氏(株式会社あおいけあ代表取締役)、下河原忠道氏(株式会社シルバーウッド代表取締役)に、それぞれの取り組みをご紹介いただいた。

雄谷 良成

雄谷良成氏は、金沢大学で障害を学び、青年海外協力隊員としてドミニカ共和国で障害福祉指導者の育成や医療過疎地での病院建設などに関わった後、新聞社や大学教員などを経て、現在は社会福祉法人理事長として、石川県を中心に「三草二木 西圓寺」や「Share金沢」など、さまざまな人が共生できるコミュニティ拠点を作ってきた。
冒頭、故村上智彦氏の言葉を引用しながら、「公」とは何かという問いかけからプレゼンが始まった。

●「日本人の心の中には、もともと『公の精神』が息づいている」
分析心理学のカール・グスタフ・ユングは、人類には、意識の下に、さまざまな無意識があり、人はそれを通じてつながっているとされる。村上智彦氏の言う「公の精神」とは、心理学の系譜から見ると「普遍的無意識」ということになるのではないだろうか。
人と人のつながる力。

●人生100年時代となった。
これまでは教育→仕事→引退という3ステージで人生は完結していた。
しかし、いまはマルチステージとなっている。
この人生100年時代を生きぬくための「個人中心的プロセス」については「LIFE SHIFT 100年時代の人生戦略」にリンダ・グラットン、アンドリュー・スコットが記している。つまり「個人を中心に」新しいシナリオ、新しいステージ、新しいお金の考え方、新しい時間の使い方、未来の人間関係など。セリフマネジメントができる層にはよいかもしれない。しかし、そうでない場合の対応が問題になるし、かなり西洋的な考え方で、相容れない人も多いと思う。
そこで、出てくるのが「地域中心的プロセス」。
つまり「ごちゃまぜ(地域共生社会)の地域戦略」。「地域を中心に」、社会的排除のない拠点づくり、雇用をリードする福祉・医療の活用、交流(関係)人口の増加と人口集積。若者の定着・UIターン、高齢者の移住、そして「第三の医療」による健康促進など。

●ユングによれば、意識(自我)の下に、無意識(自己)がある。
西洋と東洋は意識構造が異なる。西洋的価値観は、自我、つまり意識が中心となる。しかし東洋的価値観は、自己が中心となる。それは無意識の中にあり、村上智彦氏のいう「公」の領域にある。
個人中心的プロセスは、その名の通り、自我が中心で、これは西洋的な考え方だ。一方、地域中心的プロセスは、東洋的と言えるかもしれない。
日本は、西洋でも東洋でもない、そのハイブリッド。「個人中心的プロセス」と「地域中心的プロセス」の両方をバランスよく取り入れながら、世界に先駆け、少子高齢人口急減社会に対応する。これがJAPAN WAYだ。

●この場所では、いろんな人が、お酒を飲みながら、一緒に時間を過ごしている。この女性はデイサービスの利用者だが、デイが終わると、ここでご主人と一緒にお酒を飲む。時間とともに少しずつ酔っぱらって、そのうち、ドジョウ掬いを踊り出す。デイサービスでは歩行器がなければ歩けないことになっている。こんな状況を見ると、医療って何だ、と思えてくる。

●ごちゃまぜ、それは人と人とのつながりと健康のメカニズム。
人は、人と交わるだけで健康になる。人は、つきあう人やグループで行動が決まる。そして人とのつながりから支援(ソーシャルサポート)が生まれる。

●ごちゃまぜは第三の医療。
幸せな人とつながるだけで、人は幸せになれる。そして、幸せな人とつながっている人とつながるだけでも幸せになれる。ダウン症の92%が幸せだという。ダウン症の子が近くにいる、ということはとても幸せなこと。
(ニコラス・クリスタキス connectedより)
この青年は引きこもりだった。ここで子どもたちと接しながら、毎日休むことなく仕事を続けている。この女性は原因不明の疼痛のために日常生活を失いかけていた。しかし、障害を持つ高齢女性の「手当て」によって病状は徐々に改善してきている。この子は注意障害。学校に居場所はない。しかしここでは1日中、他の子どもたちの遊び相手をしている。

●ごちゃまぜはSocial Incursion、それは社会的排除(Social Exclusion)の対極。
ごちゃまぜのコミュニティづくりを実践してきた行善寺。関係人口が増え続けている。ボランティアは280人に達し、地域の世帯人口まで増加してきた。

●「自分たちの子どもや孫に『この国に生まれてよかった』と思ってもらえるような素晴らしい社会を作れると私は信じています」村上智彦
西洋でも東洋でもないもの・・つまり二元論からの脱却でもある。
User & Staff, Work & Life, Selfish & Altruistic, Everyday & Non-Daily…
ごちゃまぜこそJAPAN WAY、日本の進む道。

井階友貴

井階友貴氏は、自他ともに認める「まちづくり系医師」。診察室を出て、自ら町中に赴き、地域住民とともに「消滅自治体」の地域医療を作り上げてきた。シンポジウムでは、福井県高浜町マスコットキャラクター「赤ふん坊や」のプレゼンテーションをマネージャーとして見守った。

●高浜町は人口10,500人の小さな町。高齢化率は31%。美しい海に面しており、その海岸はビーチの国際環境認証Beach Flagをアジアで初めて取得している。
しかし、町内の常勤医師数はどんどん少なくなり、平成13年には13人いた医師は、H20年には5人まで減少してしまった。医師数どころか、住民そのものも減少、少子高齢化の進行による「消滅可能性都市」としてリストアップされてしまった。

●医療とまちを守るためにはどうすればいいのか。
キーワードは3つ。①CBPR、②Social Capital、③Collaboration。

●CBPRとは、地域社会参加型研究(Community-Based Participatory Research)のこと。従来の研究は、コミュニティのメンバーは研究対象でしかなかったが、CBPRでは、研究者とコミュニティのメンバーのパートナーシップの元、コミュニティメンバーが、研究のすべての段階に主体的に参加する。地域参画型の介入研究のこと。

●Social Capitalとは一言でいえば「地域の絆」。つながり、交流、社会参加、信頼、お互いさま…こういう関係はすべてSocial Capital。これは、健康面でとてもよい効果(健康寿命延伸、うつ軽減、要介護・認知症リスク軽減など)があることがわかっている。また、実は健康面だけでなく、教育面(成人生活への潤滑なシフト、コミュニケーション能力の向上、保護者負担の軽減…)、治安面(犯罪の減少…)に加え、失業率低下、起業促進、地域経済活性化など、経済面でも有益であることがわかっている。

●地域のCollaborationとは、行政・住民・医療介護の出会い・気づき・共感から生まれる「かけはし」づくり=和の拡大、そしてそれがプラットフォームとして機能しながら、「なかま」づくり=輪の拡大に発展していく。
現在、高浜町では、「たかはま地域☆医療サポーターの会」(医療と地域のために「住民としてできることを探して実行」していく住民有志団体)や「健高カフェ」(あらゆる分野のあらゆる立場が、参加者提案のテーマでざっくばらんにおしゃべりする)、「高浜町公式赤ふん坊や体操」「健康のまちづくりアカデミー」などのさまざまなコラボレーションが同時進行している。実際、このような活動を通じて、20以上の施策が実現している。

●①CBPR、②Social Capital、③Collaborationを通じて、5人まで減った町内常勤医師数は13人まで増加。そればかりか、取り組み開始から7年目で、なんと転入者が転出者を上回った!これは消滅可能性自治体としては極めて画期的な出来事。このような成果から、2018年10月にプラチナ大賞を受賞!全国紙やNHKなどでも取り上げられるようになってきた。

●ひととひと:地域の連帯感や絆を深める。団体と団体:まちづくり活動の効率や効果を高める。地域と地域:町全体の一体感や将来性をつくる。この3つの地域協働のもと、地域主体に、ソーシャルキャピタルを醸成してきた。
CBPR/Collaborationによる健康まちづくり事業は、地域や全国での取り組みを通じてSocial Capitalの醸成に。そして、「まちに出るほど健康になれるまち」づくりを通じて、健康寿命を10年、地域寿命を100年延ばす健康づくりたかはまモデル「地域共生社会モデル」を構築、同時に「健康とくらしの調査」による高齢者悉皆縦断調査を並行して行っている。

●なお寿司ゆかりの地・高浜町で、世界最大のちらし寿司を作るべく、現在、クラウドファンディングに挑戦中!

加藤 忠相

加藤忠相氏は、大学卒業後、特別養護老人ホームに就職するも、現場の現実にショックを受け3年後に退職。25歳で株式会社あおいけあを立ち上げる。グループホーム、デイサービスからスタート、2007年より小規模多機能型居宅介護事業所の運営を開始。その先進的な取り組みは、国際的に注目され、映画「ケアニン」のモデルにもなった。そんな加藤氏からは、小規模多機能を中心とした地域での実践例が示された。

 

●基本は一人称で考えること。
つまり、自分が受容できる環境、自分が受容できるケアであることが非常に重要。

 

●藤沢の事業所は塀に囲まれていない。地域にオープンにした結果、地域住民が敷地内を通り抜けるようになった。子供からサラリーマンまでいろんな人が行き交う。グループホームの高齢者が手をつないで歩く高校生のカップルをみながら「昔はあんなことしなかったわよ」などと話すことも。

 

●小規模多機能の建物もオープン。屋上も含め、自由にでき入りできる。地域の子供たちや住民向けの習字教室など、地域住民が自然に出入りできるきっかけづくりを意識している。放課後になると子供たちが屋根で遊んでいる。これが日常の風景になりつつある。

 

●こちらは新しくつくったサテライト事業所。

一階部分に小規模多機能があるが、その隣はコミュニティレストラン。利用者やスタッフのみならず、地域住民も食べにくる。二階部分はフリースペースとアパート。フリースペースは住民たちが自由に使える場所。子供から主婦までいろんな人が利用する。アパートは3室。ちょうど真ん中になぜかカフェができて、イケメンバリスタを目当てに?地域の若いお母さんたちが集まる。アパートは地域共生型住宅と位置付けている。亀井野地区で1日1時間ボランティアしてくれれば家賃は4万円。介護事業所というよりは、地域のコミュニティ拠点。

 

●この人たちはみんな介護サービスの利用者。だけど、みんな自分たちのことは自分たちでやれる範囲でやっている。スタッフは一人しか写ってない。誰がスタッフで誰が利用者かわからない。ここでは介護されているのではなく、みんな生活をしている。
新人介護職は、料理の腕で利用者には勝てない。利用者の昼食を準備するつもりが、利用者から包丁の使い方を教えてもらう羽目に。ここの高齢者は、誰も「世話になってる」なんて顔をしていない。自分たちはここで世話をしてやっている、仕事に来ている、という感覚。

 

●誰か「に」何かをしてあげる。これは業務であり、管理であり、支配でもある。利用者は「世話になる」という感覚を持つ。
誰か「と」何かを一緒にやる。これがケアであり、自立支援。
そして、誰か「が」が何かをやる。仕事をする。誰かの役に立つ。こうなると自立支援を超えて社会参加となるし、誰かから「ごくろうさま」と行ってもらえる存在。つまり社会資源となる。
利用者もスタッフも、「に」よりも「と」、そして「が」のほうが幸せ。

 

●地域密着型が高齢者だけを見てるなら詐欺。これは小山剛さんの言葉。
ここでは高齢者が田植えをしている。高齢者が田植えをしているのを見ていた子供たちは、誰からやらされるともなく、自分たちも田植えをしてみる。そして、稲の育ちの違いを見せつけられ、亀の甲より年の功、「じいちゃん、すげー」と自然に高齢者に対する畏敬の念が生まれていく。
あおいけあを視察にきた人たちからよく聞く感想。「誰がスタッフ?」、「認知症とか、もうどうでもいいと思える。」
イベントもやる。だけど、これはお年寄り「に」楽しんでもらうための慰安ではない。あくまで、お年寄り「が」地域の人たちに楽しんでもらうための機会。

 

●あおいけあに高校時代から出入りしていた女の子。ここで働いていた母親を尊敬していた彼女は、そのまま進路に「あおいけあ」と書いた。この場所で、ここの利用者のお年寄りたちに見守られて挙式をした。
生れた子供は、この場所で、ここの利用者たちがみんなで面倒を見ている。子供の世話をしている高齢者たちはみないきいき、のびのびとしている。(実際に背筋も伸びる)。このお年寄りたちは、ここで世話をされている人たち?子供の世話をしている人たち?

 

●不登校の子、自閉症の子、みんなここで一緒に仕事している。
医療やケアの目的は何だ?

下河原 忠道

下河原忠道氏は、入居稼働率・看取り率ともにきわめて高いサービス付き高齢者向け住宅「銀木犀」を展開する介護事業運営者であるとともに、VRを通じた認知症の一人称体験、そして高齢者住宅での看取りの推進に情熱を傾ける社会事業家だ。自分が住みたいと思えるような高齢者住宅がなかったというところから、下河原氏の挑戦は始まる。

●サービス付き高齢者向け住宅「銀木犀」を展開している。ポイントは「住みたくなる家」。空間やインテリアにはこだわっている。駄菓子屋を標準装備している。駄菓子屋があると子供たちが自然と集まってくる。高齢者住宅らしからぬ子供たちのたくさんいる空間になっている。

●サービス付き高齢者向け住宅は、実は効果的なケアが提供できる場所。
介護報酬を特養・特定施設(有料老人ホーム)・サ高住で比較してみると、サ高住が最も少ない介護報酬でケアが提供できていることがわかる。これは銀木犀の実例。要介護3や4でも、限度額の5割しか利用していない。要介護2以下だと限度額の3割程度しか介護保険を使用していない。

●この人は銭湯の番台にいた人。駄菓子屋の店番をやらせると一か月に49万という売り上げを記録した。自分でやれることを自分でやる。そして役割を持つ。
地域から認知症のある人を分離する社会は、無意識の偏見を育む素地を作ってしまうのではないか。大切なのは「生き甲斐」「役割」「社会参加」そして「就労」。そこで「仕事付き高齢者住宅」を始めることにした。これは恋する豚研究所のフランチャイズ一号店になる。

●VR認知症体験会にも取り組んでいる。すでに3万人が認知症を一人称で体験した。バーチャルリアリティの技術が日本で初めて認知症教育に応用された事例。全国の自治体、教育機関、医療介護関係者、一般企業へ体験会を拡充、現在は、テーマを認知症から終末期医療やダイバーシティまで広げている。

●誰もがその人なりに頑張って生きている。歳をとり、脳が老化すれば気力も弱る。頑張れない時は必ず来る。その結果が死。頑張って寿命を延ばすことよりも、最期まで納得して生きられることが重要。人生の最終段階、本人のためではなく、誰かが納得するための治療が行われる。そして心臓が止まるまで死として認められない。そんなのはもうやめたい。
食べないから死ぬのではなく、もう死ぬから食べなくなる。

●沖縄の現実。ここは那覇市の住宅型有料老人ホーム。
みな人生の最終段階、経管栄養となり、医療依存度が高くなった結果、行くところがなくなってしまう。ここは最後の砦だそう。
県民の3人に一人が配偶者を持たない状態で高齢者になる沖縄。都道府県別の療養病床と介護保険施設の定員は沖縄が一番多い。胃瘻造設も一番。訪問診療や緊急往診、訪問看護を利用している人口あたりの患者数は最下位レベル。代わりに多いのが緊急入院と病床利用率。

●沖縄では、医療依存が高められている高齢者が多い一方で、在宅医療による支えが十分ではない。安心して暮らすこと、支えることに限界があり、結果として急性期病院に搬送される患者数が増加している。
住民が過度に医療へ依存することなく生活できるよう、不可避な「老い」と「死」へのプロセスを支援してゆくことが必要。安心して人生の最後まで自分らしく暮らしてゆくためには、地域で「豊かな施設」を実現してゆくことがカギ。
住み慣れた場所で暮らせることを目標とし、医療依存を高めすぎないこと。多職種連携のもとで自然な老衰死を看取ることに対応し、医療者に任せきりにしないこと。これは専門職だけでなく、地域全体で考えていくべき課題。

●施設の看取り率はまだまだ低い。
高齢者向け住まいにおける看取りが進みにくい要因の一つは、介護職員等の看取りに対する理解が進んでいないこと。高齢者向け住まいに関わる介護職の看取りへの理解が深まるよう、VRも活用しながら看取りに関する研修プログラムの提供を開始している。

4人の取り組みの共通点はやはりダイバーシティ、全世代型、そして「ごちゃまぜ」。そこに「人を集めた」のではなく、自然と「人が集まる」仕組みがそこにできていた、ということが重要なのではないかと感じた。
人は居心地のいいところに、魅力的なところに集まるもの。そして集まった人たちが「ごちゃまぜ」の居心地のよさをさらに高めていく。そんな好循環が生まれていた。

地域共生社会は、結局、「だれにとっても居心地のいい場所」を作るということ。それは環境とつながりの2つの側面から構成され、それぞれポイントとなるキーワードが示された。
全体像を二次元で把握することは難しいが、9人のプレゼンテーションを繰り返し読み返していけば、その意図するところが理解できてくるのではないかと思う。

そして、もっとも大切なことは、一人ひとりがよりよい未来、地域共生社会をつくるために、できることから取り組んでいくこと。
自分には何ができるのか、自分は何をすべきなのか。
私自身も改めて考えてみたいと思う。

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