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認知症はそもそも病気なのか?

臨床現場は「生活の質」重視へ

· 在宅医療,QOLと尊厳,地域共生社会,メディア,オピニオン

週刊東洋経済10月13日号「認知症と付き合う」に、のぞみメモリークリニックの木ノ下徹先生とともに認知症の医療についての取材記事が掲載されました。
一部、抜粋してご紹介したいと思います。
 

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認知症をめぐる医療の現場は今、大きく変わろうとしている。

「認知症の本人のために何をすべきか」を、あらためて問う動きが広がっているのだ。

「地域の病気にゃ施設などからの紹介ベースで見ると、がん末期が3割で、残りの7割が主に高齢者。その8割が認知症の診断がついている人で、うち半分が中等度異常。患者のかなりの部分を認知症の人が占めている。」そう語るのは、首都圏で在宅医療専門のクリニックを展開する医療法人社団悠翔会の佐々木淳理事長だ。

在宅で療養する人は患者ではなく生活者

現在、悠翔会のクリニックは東京都を中心に11カ所。常勤・非常勤あわせて医師は76名で、常時4000名の患者を診察している。緊急事態に備え、365日24時間対応の体制も構築、法人外のクリニックとの連携も進めている。
 

「現段階では認知症に対する治療方法はない。にもかかわらず治療に固執すると、お金、体力、何よりも時間をムダにしてしまう。治らないことは人生を諦めることではない。残された人生をいかに豊かなものにしていくのかが大切だ」と佐々木氏は語る。「在宅で療養するということは、患者というよりも生活者であるということ。生活の充実こそが最優先されるべき」。
 

そのため、認知症についてはケアが重要になる。
そのポイントは環境の適切な調整だ。環境には住空間と人間関係という二つの要素がある。誰だって狭苦しい空間に押し込まれては不快になる。それは認知症の人も同じことだ。
 

「人間関係でもっとも問題になるのが、実は家族」 認知症になる前の本人の記憶があるだけに「こんなこともできないのか」とつい感情的になって怒ったり、強い命令口調で本人の行動を抑制したりする。だが、本人にしてみれば、「不愉快な人間がうるさく怒鳴っている」ということになり、逃げ出したり、反抗したりしようとする。その反応を見て、徘徊や暴言、暴力などのBPSD(認知症に伴う行動・心理症状)が始まったと周囲が思ってしまう。認知症の本人の声を聴く、それが無理なら本人の立場になって快適な環境を作ることが大切だ。

「家族には正しい知識を持ってもらい、適切なケアができるようアドバイスしている。いざ実践するとなると簡単ではないので、どうしてもm栗なら施設という選択肢もある。ただ、現在では小規模多機能型居宅介護という在宅と施設の中間のようなサービスもあるので、そちらを利用する方法もある」

認知症の人を含め、高齢者のケアには、地域全体の介護力の向上が必要不可欠だ。悠翔会は医療、介護など多職種の人たちが集まる「ケアカフェ」を定期的に各クリニックで開催。ケースカンファランスやグループディスカッションなどを通じて緊密な関係づくりを行っている。

佐々木氏には「認知症はそもそも病気なのか」という思いがある。

大半の人は加齢とともに認知機能が低下していく。高齢化社会において、認知症の人は決して少数派ではない。

「2060年には日本人の7人に1人が認知症になるという予測もある。病気というよりは、むしろ老化のプロセスとして考えるべきではないのか」。認知症であってもポジティブに生きていける仕組みを地域全体、社会全体で作っていかなければならないと佐々木氏は訴える。

東洋経済のこの特集「認知症と付き合う」では、木ノ下徹先生に加え、先進的な認知症ケアに取り組む加藤忠相さん、下河原忠道さん、前田隆行さんらの取り組み、当事者である丹野智文さんのインタビューなども掲載されています。認知症の診断・治療・予防・ケアなどが網羅的に集約された一冊になっています。ぜひご一読いただければと思います。